「学び直す大人」シリーズについて
仕事を続けていく中で、
“学ぶ”という行為の意味が少しずつ変わってきた気がします。
若い頃は、知らないことを覚えるための勉強だった。
今は、積み重ねた経験をどう整理するか、
どう次につなげるかを考える時間になっている。
このシリーズでは、
日々の仕事や講義の中で気づいたことを通して、
“学び直す”という行為を静かに見つめ直しています。
新しいことを始めたい人も、
これまでのやり方を一度見直したい人も。
そんな誰かの考える時間のきっかけになれば嬉しいです。
教えることで、学び直している
講義をしているとき、
「この説明、本当に自分は理解できているのだろうか」と思う瞬間がある。
教えるというのは、相手に伝える行為であると同時に、
自分の理解を確かめる作業でもある。
説明できないことは、まだ分かっていない
どれだけ長く現場にいても、
人に説明しようとすると、意外と自分の理解があいまいな部分が見えてくる。
図面の構成を話している途中で言葉が止まる。
「なぜそうしたのか」と問われて、思考が戻る。
そのとき初めて、自分の考えが感覚に頼っていたことに気づく。
説明できないことは、まだ分かっていないこと。
誰かに教えることが、理解の“最終試験”みたいなものだと思う。
伝わらない瞬間から、学びが始まる
講義の中で、こちらの言葉が届かないことがある。
同じ説明でも、受講生の表情が動かない。
そういうときは、図を描き直したり、例を変えたりしながら、
相手の理解の入り口を探していく。
その過程で、自分自身も気づかされる。
「自分が何を重要だと思っていたか」
「どの部分を軽く扱っていたか」
伝わらなかった理由を考えることが、次の自分の学びになる。
教えることは、自分を更新すること
受講生に説明するたび、少しずつ言葉が磨かれていく。
ある年の授業で話した例え話が、翌年にはもう古く感じることもある。
教える立場というのは、常に内容を“更新し続ける仕事”だ。
同じテーマを何度教えても、
毎回、伝える相手も、自分自身も変わっている。
だから、教えることは単なる再利用ではなく、
そのたびに新しく学び直しているということだと思う。
ChatGPTとのやり取りも、その一部
最近は授業準備の中で、ChatGPTを使って構成を整理することもある。
便利で助かるが、
ツールに任せすぎると、自分の言葉が薄くなる瞬間がある。
「どう説明するか」を考える時間こそが、
教える人にとっての学び直しの時間なのだと感じる。
道具に整理を任せながらも、最後の言葉は自分で選びたい。
おわりに
教えるという行為の中には、
“自分をもう一度学び直す”工程が隠れている。
相手の理解を助けようとする過程で、
自分の理解も深くなる。
だからこそ、教える仕事は終わりがない。
学び直す力を、誰よりも試されているのは、
教える側の自分かもしれない。

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